作並温泉元湯鷹泉閣岩松旅館―語り継がれる驚異の名湯の底力を感じる旅館2010/10/14

 30年ぶりに作並温泉・元湯鷹泉閣岩松旅館に入りました。なかなか足が向かない温泉地でしたけれど、源泉を5本もちすべて自噴だと聞いて驚愕しました。受付で確認したところ間違いないということでした。

岩松旅館の外観

 道路を挟んだ向かい側の職員宿舎の前に駐車して、受付で入浴料の1500円を支払い、フェイスタオルとバスタオルを受け取り、エレベーターで地下2階の岩風呂へ向かいました。ここだけは昔の木造建築を保存したままで、88段の階段を下ります。
 途中に休憩室やトイレ、脱衣所があります。ロッカーもありました。

看板「鷹湯」

 昔と変わらぬ天然岩風呂でした。入り口のすぐ右には、源泉が湧き出ていました。分析票では55.8℃となっていました。注ぎ口からいちばん遠い所で50℃ありました。

岩松旅館の岩風呂

 その前が瀧の湯で43℃、その隣が新湯で42℃、その奥が鷹の湯で43℃、いちばん奥が河原の湯で42℃でした。岩風呂に4本の源泉を使った贅沢さに驚きました。もう1本の源泉で男女別の大浴場の不二の湯と女性専用の内湯の香華の湯に利用していました。

岩風呂の4源泉の分析票

 泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉です。源泉の温度は53.8℃から55.8℃であり、温度を下げるために加水しています。雨が降ったり冬季には温度が下がるので加温しています。川水や雨が地下に浸透して源泉を供給していることが分かり、長く枯れることのない自然の恵みのメカニズムを目の当たりにしました。
 循環はしておらず、掃除をするときには塩素を使用しています。pH8.3。

岩松旅館の女性用内風呂
 
 温泉の歴史は、奈良時代の高僧・行基が発見して、住民に効能を奨励したと伝えられています。
 源頼朝が飛ぶ鳥を矢で射て追いかけると、鷹が傷を癒していたという伝説もあり、当旅館の名称の由来になっています。
 室町時代に岩松対馬尉藤原信寿が移り住み、11代目に当たる寿隆(字名喜惣治)が、代々岩松家に伝えられている秘湯を地域に開放したいと伊達藩に願い出て、寛政8年(1796年)に許可が下りました。
 8年の歳月を経て施設を完成し鷹乃湯の名称を授かりました。

「鷹湯」命名書

  この歴史を証明する史料の展示がフロントの奥に展示しています。向かいの山本商店の脇の丘を登ると湯神神社があります。作並温泉記の碑があり、拓本が岩松旅館に展示してありました。

作並温泉湯神神社
作並温泉記碑
作並温泉神社の碑

 教員時代には何度か宿泊しました。しかし、結婚する直前に一泊したきり、30年間足が遠のいていました。開湯に至る歴史の資料が展示してあることや岩風呂に4本の源泉を使用しているなどを全く知りませんでした。
 源泉かけ流しが温泉の良さの証明だと思っていましたけれど、岩松旅館はこれに該当せず、源泉かけ流しだけで割り切れない温泉に突き当たってしまいました。
 さらに、分析票の塩素消毒ありも直ちに駄目とはいえないこともあるとを知らされました。

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