湯野浜温泉しらはま屋 ― 2019/09/10
日本共産党員として50年になろうとしているなかで今回の仙台市議選ほど死力を尽くして取り組んだことはなかった。それだけに選挙が終わって2週間も経っているにも拘わらず疲れが抜けないので、気分転換のために思い切って一泊旅行を実行した。
ネットで検索して湯野浜温泉民宿しらはま屋がポイントも使うと5,000円で泊まれて源泉かけ流しなので申し分なし。
海岸線を走っていると鳥海山が雲に抱かれている姿が現れ思わず車を止めてカメラのシャッターを切った。この景色が見られただけでも今回の旅行の目的が達せられたような気分になった。
宿泊予定の民宿は湯野浜温泉のど真ん中にあった。以前に入った湯野浜温泉上区共同浴場も隣りにあった。
温泉は源泉が56.4℃あり浴室での温度は43℃でした。
夕日が日本海に涼むときはあいにく雲が出てしまい、期待していた夕日の情景は見ることができませんでした。
夕食はホテルとは違い品数は少なかったけれども、私にとっては十分に豪華でした。
上州四名湯紀行 ― 2011/10/14
上州四名湯紀行のバスツアーに参加して大満足しました。東北道を南下して、栃木県の佐野パーキングエリア手前の岩舟ジャンクションから北関東自動車道に入り、高崎ジャンクションで関越自動車上を北上する。沼田インターで降りて、沼田市の原田農園が経営する食堂で昼食を摂った。
宝川温泉・汪泉閣
1時間ほど北上して宝川温泉・汪泉閣に到着した。広大な敷地に5つの源泉を合わせて温泉を供給する1軒宿であった。
日本武尊が発見したと伝わる古い温泉であり、通路には遺物が雑然と置かれていた。
宝川温泉・汪泉閣
1時間ほど北上して宝川温泉・汪泉閣に到着した。広大な敷地に5つの源泉を合わせて温泉を供給する1軒宿であった。
日本武尊が発見したと伝わる古い温泉であり、通路には遺物が雑然と置かれていた。
湯の小屋温泉・洞元荘
午後4時に宿泊先の湯の小屋温泉・洞元荘に到着した。日本の秘湯を守る会の会員だった。夕食の御飯は最悪だった。
庭には与謝野晶子の歌碑があった。そういえば与謝野晶子は晩年に精力的に温泉を廻っていて、そのことを書いた本を買っていたことを思い出した。
法師温泉・長寿館
翌朝午前9時に宿を出て、今回の温泉めぐりの最大の目的にしていた法師温泉・長寿館に向かった。1時間半ほどで到着する。
古い建物の茅葺きの屋根に苔が生えていて、青根温泉の不忘閣を思わせる雰囲気だった。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。
湯舟の底から温泉が湧き出る自然湧出のめずらしい温泉だった。温度はそれほど高くはなかったが、あがってから汗がどっと噴き出てきた。
翌朝午前9時に宿を出て、今回の温泉めぐりの最大の目的にしていた法師温泉・長寿館に向かった。1時間半ほどで到着する。
古い建物の茅葺きの屋根に苔が生えていて、青根温泉の不忘閣を思わせる雰囲気だった。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。
湯舟の底から温泉が湧き出る自然湧出のめずらしい温泉だった。温度はそれほど高くはなかったが、あがってから汗がどっと噴き出てきた。
薬師温泉・旅籠
ここから1時間半ほど移動して薬師温泉・旅籠に着いた。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。茅葺の建物のは見事であった。
源泉掛け流しではなかったが、自然湧出の温泉だった。北に僅か行くと川原湯温泉があり、八ッ場ダムの建設予定地であった。
ここから1時間半ほど移動して薬師温泉・旅籠に着いた。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。茅葺の建物のは見事であった。
源泉掛け流しではなかったが、自然湧出の温泉だった。北に僅か行くと川原湯温泉があり、八ッ場ダムの建設予定地であった。
湯田川温泉共同浴場の正面湯―藤沢周平縁の落ち着いた温泉街 ― 2011/07/22
前から懸案だった鶴岡市郊外にある藤沢周平縁の湯田川温泉共同浴場正面湯に入ってきました。落ち着いてこじんまりとした温泉街は米沢市の小野川温泉に似ていて何度も来て見たいと思いました。温泉周りをするようにならない10年ほど前に、娘二人を連れて湯田川小学校に建っている藤沢周平の文学碑を見るために来ています。その時は温泉には入らなかった。
温泉街の商店には駐車場がなく、温泉街入口の共同駐車場を利用します。船見商店で入浴券を買って共同浴場の空けてもらいます。地元の人たちが開けているときもありますが、閉まっているときもあるようです。
湯田川温泉は正面湯の後ろにある湯田川1号源泉から各旅館や浴場に配湯しているそうです。源泉の温度は42.6℃です。源泉から近いせいか湯口では41.8℃、湯舟では41.2℃です。
加温・加水・循環をしておらず、塩素消毒をしています。主成分はナトリウム・カリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩です。湯舟は深めです。
加温・加水・循環をしておらず、塩素消毒をしています。主成分はナトリウム・カリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩です。湯舟は深めです。
正面湯の向かいには、藤沢周平原作の映画「花のあと」縁の地の案内板があり、由豆佐売神社に通じる参道があります。
神社の入口には斎藤茂吉の歌を記した案内の門柱がありました。同神社は650年創建と伝えられており、延喜式神名記にも記載がある格式のある神社です。多くの文人墨客が訪れています。
神社の入口には斎藤茂吉の歌を記した案内の門柱がありました。同神社は650年創建と伝えられており、延喜式神名記にも記載がある格式のある神社です。多くの文人墨客が訪れています。
温泉街を歩いて駐車場に戻るときに、新徴組本部跡の看板を見つけました。新選組の前身ともなった組織で、清川村(現庄内町)出身の清川八郎が組織しました。その本部が一時ここに置かれたらしい。この地には新徴組の死者20人の墓があり、末裔の家が3戸残っています。
稲取温泉・東海ホテル湯苑―伊豆七島を臨む稲取温泉発祥のホテル ― 2011/06/09
伊豆半島一周のバスツアーに参加して稲取温泉・東海ホテル湯苑に宿泊してきました。東日本大震災の憂さを晴らすつもりの参加者が集中したためか、キャンセル続きのツアーのなかで37人の参加者で決行となった。天候に恵まれずに2日間の旅程中に一度も富士山は姿を現さなかった。
稲取温泉は周辺に見るべきものは何もない簡素な温泉街だった。早朝に周辺の散歩もする気力が起きなかった。
稲取温泉は周辺に見るべきものは何もない簡素な温泉街だった。早朝に周辺の散歩もする気力が起きなかった。
当ホテルは、稲取温泉の源泉を1958年に掘り当てた最初の源泉を所有しており、稲取温泉元湯に相当するホテルだ。正面玄関に記念碑があった。全室が海に面した眺望抜群の立地ではあったけれど、雲が立ち込めて伊豆七島を十分に眺めることはできなかった。
源泉は稲取2号源泉といい、温度は71.4℃と高温のために加水して温度を下げている。温泉施設は1階に貸切風呂があり、3階(遊々湯苑)と5階(洋々湯苑)にある施設を半日毎に男女入れ替えて使っている。
貸切を除いてそれぞれに8種類の私説を配置して多彩な風呂を楽しめるようになっていた。湯口では47.2℃のお湯が、湯船では38.2℃に下がっていた。消毒と循環している。湧水量120ℓ/min.。
主成分はナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩だった。
主成分はナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩だった。
天童温泉・湯の香松の湯―二つの源泉かけ流しを楽しむ純和風旅館 ― 2011/06/06
天童温泉・湯の香松の湯に入りました。天童温泉街での旅館への入湯は初めて。インターネットで源泉かけ流しを検索したらヒットしました。全12室のこじんまりとした落ち着いた純和風旅館です。
この地域の水田開拓時に温泉が湧き出たのが天童温泉の始まりで開湯100周年です。比較的新しいため温泉神社はないようです。
この地域の水田開拓時に温泉が湧き出たのが天童温泉の始まりで開湯100周年です。比較的新しいため温泉神社はないようです。
料金は温泉組合の申し合わせがあるらしく500円で何処の旅館も入れるようです。
風呂は、大浴場の八角堂と露天風呂つきの大浴場があり、半日毎に男女入れ替えています。
自家源泉・松の湯は八角堂だけに、露天風呂と大浴場は天童温泉共同源泉を使っています。
主成分は両方に共通しており、ナトリウム・カリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩で、自家源泉の方は成分が少なく、旅館では癖がないと言っていました。
風呂は、大浴場の八角堂と露天風呂つきの大浴場があり、半日毎に男女入れ替えています。
自家源泉・松の湯は八角堂だけに、露天風呂と大浴場は天童温泉共同源泉を使っています。
主成分は両方に共通しており、ナトリウム・カリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩で、自家源泉の方は成分が少なく、旅館では癖がないと言っていました。
自家源泉の温度は47.0℃で湯口では42.7℃、湯船では41.6℃でした。共同源泉は61.5℃と高温です。pH8.2。どちらも無色透明・無味無臭です。
浴場からの手入れされた日本庭園の眺めは素晴らしく、日頃の疲れを癒してくれます。
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