青根温泉不忘閣―伊達藩の御殿湯を伝承する日本の秘湯を守る宿 ― 2010/12/23
宮城県川崎町にある青根温泉不忘閣に宿泊しました。1528年に開湯した古湯で、現在21代目佐藤仁右衛門が当主となっています。
今年いっぱいで定年退職するので、また温泉探訪の一区切りの意味でも青根温泉の不忘閣に宿泊して、青根御殿の展示物を見てみたいと思いました。
今年いっぱいで定年退職するので、また温泉探訪の一区切りの意味でも青根温泉の不忘閣に宿泊して、青根御殿の展示物を見てみたいと思いました。
以前は共同浴場となっていた大湯が廃止となっていましたが、不忘閣の内湯として2年の歳月をかけて復元されたのを機に日帰り入浴を止めてしまったので、なおさら宿泊しなければ温泉に入ることができなくなりました。
午後4時すぎにチェックインし、先ず御殿湯に入りました。御殿湯は以前は日帰り入浴させていた風呂です。大小の2つがあり、時間帯で男女別に使い分けています。蛇口やシャワーがあるのはここだけです。
仲居の説明では、大湯と新湯の2本の源泉を独自に使っているかの説明があったのですが、御殿湯の脱衣所にあった分析票では、新名号湯や不忘湯などとの混合泉でした。
源泉の温度は52.0℃、勇出量は84.2ℓ/min、pHは7.5でした。風呂の温度は両方とも42℃弱で湯口から小は45.6℃、大は48.5℃のお湯が注がれていました。
次に新湯に入りました。客が少ない場合は御殿湯以外は貸切になります。フロントに木札があれば浴室の入り口にかざしておくシステムです。新湯は大湯についで古い風呂です。中は暗くて写真は撮れませんでした。多くの文人が宿泊して入浴した当時の姿を残しています。風呂の温度は42.2℃と少し高めで湯口からは49.5℃のお湯が注がれていました。
蔵の脇を通り抜けてその一つの中に造った蔵湯浴司に入りました。
土蔵には芥川龍之介が原稿執筆で訪れ、客が煩くて退避したところです。土蔵の中に造られた風呂には驚くとともに、豊かなゆったりとした気分を楽しむことができました。49.5℃のお湯が注ぎこまれて風呂の温度は41.5℃でした。
最後に最も古い大湯に入りました。共同浴場だったとき男女の仕切りがあったのを取り払い、伊達政宗が入った当時の石組みを残して木造に新しく生まれ変わりました。44。0℃のお湯がふんだんに注ぎこまれて、風呂の温度は40.4℃でした。
不忘閣の温泉はすべて飲泉可能です。
翌朝の青根御殿のツアーのときに古賀政男が宿泊した部屋を案内してもらいました。以前湯治部屋として使っていたところでした。
山本周五郎が『樅ノ木は残った』を書くために宿泊したのは青根御殿でした。NHKの大河ドラマの放映でブームになる前は御殿にも宿泊できていました。そこから樅の木が見えました。
青根御殿には川端康成、吉川英治、与謝野晶子、芥川龍之介などの文人たちが宿泊した記録がたくさんありました。川端康成や吉川英治が宿泊したのを初めて知りました。吉川英治の色紙は立派でした。
伊達藩の御殿湯として伊達政宗をはじめたくさんの遺品が三つの蔵に収めてあり、青根御殿に展示してあるのはほんの一部だそうです。建物の改修の時期になっているのですが改修してから遺品をどう活用するか思案中だそうです。
宿泊して夜に雷が鳴り、雪を呼んだのか朝には青根御殿は雪の中でした。2階からの眺めも雪景色で温泉神社を窓から眺めて終わりにしました。
さすがに日本の秘湯を守る会員の宿だけあって、44年間の労働の終了にふさわしい記念の温泉宿泊となり大満足しました。
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