湯沼温泉駒草荘―水田地帯の真ん中にある温泉宿 ― 2010/11/16
山形県高畠町にある湯沼温泉駒草荘に入ってきました。近くに底なし沼として有名な白龍湖があります。ここら一帯は沼地で冬に雪が積もらないところがあって湯沼の地名がついたらしい。
70年前に温泉宿を営んでいたのですが、大雨で泥に埋まってしまいそのままになっていたのを、今の経営者の先代が1962年に苦労を重ねて駒草荘として開業しました。
70年前に温泉宿を営んでいたのですが、大雨で泥に埋まってしまいそのままになっていたのを、今の経営者の先代が1962年に苦労を重ねて駒草荘として開業しました。

水田の真ん中に看板もなく建っていて、雪囲いの最中で看板も隠れていたので、なおさら見つけるのに苦労しました。玄関で350円の入浴券を買います。フロントの脇に産直の売店がありました。脱衣所に小さなロッカーがありました。

源泉名は湯沼温泉で30.2℃なので加温しています。源泉を加えながら循環しています。内湯の湯口からは大量のお湯が注いでいました。配布しているビラには源泉かけ流しとありますが、誇大広告です。

湯口の温度は40.7℃で浴槽では40.2℃でした。露天風呂は4,5人が入れば一杯になってしまうような大きさでした。湯口から40.2℃のお湯が注がれ、浴槽では39.9℃と低めでした。深夜に毎日掃除をするときに塩素を使用しています。

源泉の主成分はナトリウム・炭酸塩・硫酸塩となっていました。珍しく塩素の成分は少なかった。40℃と低い温泉なのに湯上り後に体のほてりがかなり持続しました。
温泉としてはいいのですが、接客は全く駄目でした。妻が売店に産直野菜があるんだと声をかけても売る気がないのか無言のまま。帰るときにもありがとうの一言も聞くことができなかった。
温泉としてはいいのですが、接客は全く駄目でした。妻が売店に産直野菜があるんだと声をかけても売る気がないのか無言のまま。帰るときにもありがとうの一言も聞くことができなかった。

すぐ近くに国指定の日向洞窟があります。古代人が住んでいたものらしい。
赤湯温泉烏帽子の湯―独自源泉をもち最も利用者の多い共同浴場 ― 2010/10/03
山形県南陽市の赤湯温泉烏帽子の湯に入りました。これで4つある共同浴場を全部制覇しました。いちばん利用者の多い所のようです。
他の共同浴場の源泉は森の山源泉を利用していますが、ここだけ独自の烏帽子源泉をもっています。他に分湯はしていません。
朝9時に仙台を発ち11時半すぎに昼の清掃に入る直前に滑り込むことができました。金曜日休館。毎日正午から午後2時まで閉鎖してお湯を落として清掃しています。
経営は、南陽市赤湯財産区(管理者南陽市長)なので、休みや清掃時間をずらして何処かは利用できるようにしています。
他の共同浴場の源泉は森の山源泉を利用していますが、ここだけ独自の烏帽子源泉をもっています。他に分湯はしていません。
朝9時に仙台を発ち11時半すぎに昼の清掃に入る直前に滑り込むことができました。金曜日休館。毎日正午から午後2時まで閉鎖してお湯を落として清掃しています。
経営は、南陽市赤湯財産区(管理者南陽市長)なので、休みや清掃時間をずらして何処かは利用できるようにしています。

源泉が49.8℃と高温なので加水して温度を下げています。消毒と循環はしていません。泉質はナトリウム・カリウム塩化物泉です。分析票ではケイ酸塩の成分が多かった。風呂の温度は43℃で少し緑がかっていました。
弘法大師の開湯伝説もありますが、源義家の東征に同行した弟の源義綱が発見したと伝えられています。地元では、後者を採用して開湯900年を宣伝しています。
浴槽が烏帽子の形をしています。コインロッカーはありません。営業時間は共通して午前6時から午後10時まで、11月から3月までの冬場は午後9時半まで。

直ぐ近くで明治時代に大蔵大臣・日銀総裁を務めた結城豊太郎記念館が生家敷地に建設してあり、無料で開放していました。

展示品には教養人としてのスケールの大きさを窺うことができました。特に、大蔵経全巻が蔵書として展示してあったのが目を引きました。土井晩翠とは第二高校時代からの盟友でした。

肘折温泉三浦屋旅館-温泉街の中心にある真心のもてなしをする宿 ― 2010/09/22
山形県大蔵村の肘折温泉三浦屋旅館に行ってきました。向かいの松井旅館に入るつもりだったのですが、お湯が溜まっていないために急遽変更しました。

浴場は狭く4、5人が入れば一杯になる感じでした。湯口から自前の元湯と共同の2号湯の二本の源泉を合流して注がれています。2号源泉が80℃と高温なので、薄めるために自前の源泉を合わせているそうです。
浴槽の温度は42.3℃となっていて丁度いい湯加減でした。泉質はナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉です。

正面玄関の脇には、肘折温泉の由来を記したプレートが貼ってありました。
旅館としての歴史は、何度か大火に遭い、過去帳や記録が消失していて詳しいことは分からないが、15、6代200年以上になるそうです。
主人の接客も丁寧で感じがよかった。


肘折温泉の歴史は1200年以上に遡るとされています。地元では1200年祭を企画しています。
銅山川を渡った郵便局の隣のそば処寿屋で昼食を摂りました。

赤湯共同浴場元湯―開湯900年の歴史をもつ共同浴場 ― 2010/09/21
赤湯温泉共同浴場の赤湯・元湯に行ってきました。赤湯共同浴場は、大湯と丹波湯が老朽化したため閉鎖して、2008年10月に赤湯・元湯が開設されました。
赤湯温泉観光センター「ゆーなびからころ館」と隣接しています。
赤湯温泉観光センター「ゆーなびからころ館」と隣接しています。

入浴料は、ここだけ2倍の200円となりました。2階には、森の山源泉と烏帽子源泉を使った2つの湯船があります。
森の山源泉は、60℃と高温なので、湯口の温度を48℃に下げて湯船では43℃ぐらいです。
烏帽子源泉は、48℃と低いため浴槽では40℃ほどになっています。

加水、加温、消毒など一切なしの源泉かけ流しです。毎日入れ替えて掃除をしています。久々に快適な温泉に出くわし大満足しています。

隣は観光物産店です。外には足湯さきわいの湯があります。源泉は森の山源泉なので高温です。

直江兼続の足跡を尋ねて―小野川温泉「亀屋万年閣」、白布温泉「中屋別館不動閣」 ― 2009/11/17
職場の研修旅行で近くに行くには何処がいいかという話になったので、NHKの大河ドラマ「天地人」の主人公である直江兼続の足跡を尋ねるのはどうか、宿泊は白布温泉が一般的だが、既に泊まっているだろうから、小野川温泉にしたらどうかと提案したら、そのとおりになった。
宮城インターを入り、白石インターを降りて、七ヶ宿街道を走り高畠に到着した。米鶴酒造と高畠ワイナリーを見学して、小野川温泉・亀屋万年閣に到着した。
宿の温泉は、源泉かけ流しで、硫黄を含む無色透明であった。少しぬるめであった。翌日は、上杉 神社と林泉寺を見て、早めに仙台に戻った。
宮城インターを入り、白石インターを降りて、七ヶ宿街道を走り高畠に到着した。米鶴酒造と高畠ワイナリーを見学して、小野川温泉・亀屋万年閣に到着した。
宿の温泉は、源泉かけ流しで、硫黄を含む無色透明であった。少しぬるめであった。翌日は、上杉 神社と林泉寺を見て、早めに仙台に戻った。

次の日曜日の22日に、一人で米沢を訪ねて廻る。見学者が殺到していて上杉神社の駐車場に車を止められず、山形大学に案内された。
元東馬口労町を抜け、直江兼続屋敷跡、上杉鷹山の隠居地・餐霞館跡、稽照殿、謙信公祠堂跡、東光酒造を見学する。
元東馬口労町を抜け、直江兼続屋敷跡、上杉鷹山の隠居地・餐霞館跡、稽照殿、謙信公祠堂跡、東光酒造を見学する。

車で白布温泉に向かう。鉄砲鍛造跡碑を見て、吾妻軒で昼食のかけ蕎麦を食べる。遅くなっても受け入れる中屋別館不動閣の温泉に入る。お湯は少しぬるめであった。小雪がちらつく露天風呂からの眺めは素晴らしかった。

中屋本館は、数年前の家事で消失してしまった。隣の東屋も被害を受けて、茅葺の屋根を止めてしまって、今は西屋だけが茅葺となっている。
午後4時すぎに仙台に向かい、7時に自宅に戻った。
午後4時すぎに仙台に向かい、7時に自宅に戻った。

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