赤湯温泉烏帽子の湯―独自源泉をもち最も利用者の多い共同浴場 ― 2010/10/03
山形県南陽市の赤湯温泉烏帽子の湯に入りました。これで4つある共同浴場を全部制覇しました。いちばん利用者の多い所のようです。
他の共同浴場の源泉は森の山源泉を利用していますが、ここだけ独自の烏帽子源泉をもっています。他に分湯はしていません。
朝9時に仙台を発ち11時半すぎに昼の清掃に入る直前に滑り込むことができました。金曜日休館。毎日正午から午後2時まで閉鎖してお湯を落として清掃しています。
経営は、南陽市赤湯財産区(管理者南陽市長)なので、休みや清掃時間をずらして何処かは利用できるようにしています。
他の共同浴場の源泉は森の山源泉を利用していますが、ここだけ独自の烏帽子源泉をもっています。他に分湯はしていません。
朝9時に仙台を発ち11時半すぎに昼の清掃に入る直前に滑り込むことができました。金曜日休館。毎日正午から午後2時まで閉鎖してお湯を落として清掃しています。
経営は、南陽市赤湯財産区(管理者南陽市長)なので、休みや清掃時間をずらして何処かは利用できるようにしています。
源泉が49.8℃と高温なので加水して温度を下げています。消毒と循環はしていません。泉質はナトリウム・カリウム塩化物泉です。分析票ではケイ酸塩の成分が多かった。風呂の温度は43℃で少し緑がかっていました。
弘法大師の開湯伝説もありますが、源義家の東征に同行した弟の源義綱が発見したと伝えられています。地元では、後者を採用して開湯900年を宣伝しています。
浴槽が烏帽子の形をしています。コインロッカーはありません。営業時間は共通して午前6時から午後10時まで、11月から3月までの冬場は午後9時半まで。
直ぐ近くで明治時代に大蔵大臣・日銀総裁を務めた結城豊太郎記念館が生家敷地に建設してあり、無料で開放していました。
展示品には教養人としてのスケールの大きさを窺うことができました。特に、大蔵経全巻が蔵書として展示してあったのが目を引きました。土井晩翠とは第二高校時代からの盟友でした。
秋保温泉ホテルきよ水―温泉街から離れた静寂の温泉 ― 2010/10/07
仙台市太白区秋保町にある秋保温泉ホテルきよ水に入りました。日帰り温泉は別館せせらぎの男女別の内湯と露天風呂を利用します。以前は駐車場が道路向かいに広く取っていましたが、今回は別館入り口に3台ほどを確保しているだけでした。本館の駐車場を利用しました。
玄関を入るとレストランがあり、受付を兼ねていました。料金は1330円でフェイスタオルとバスタオルつきです。ロッカーや脱衣所には洗面設備が完備しています。
男女別の内湯と露天風呂が一つずつあります。お湯は無色透明で43℃ありました。源泉名は清流源泉で51.7℃あります。泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩化物泉です。
浴槽まで引いてくるまで温度が下がるために加温しています。加水なし。循環して塩素消毒しています。微かに塩素臭がしました。
男女別の内湯と露天風呂が一つずつあります。お湯は無色透明で43℃ありました。源泉名は清流源泉で51.7℃あります。泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩化物泉です。
浴槽まで引いてくるまで温度が下がるために加温しています。加水なし。循環して塩素消毒しています。微かに塩素臭がしました。
湯口の近くと遠くで温度の差はなく、内湯と露天風呂も温度は同じでした。露天風呂の一部には屋根が掛けてありました。
本館と別館を結ぶ通路から眺める庭園がいい眺めでした。
谷山温泉松楓荘―自然に囲まれた安らぎの郷 ― 2010/10/11
宮城県村田町にある谷山温泉松楓荘に入ってきました。かなり前に一度入ったことがあります。そのときは露天風呂が1つあって、混浴であった記憶があります。その後、湯治文化の継承が混浴となっていることを知りました。
最近インターネットで谷山温泉の露天風呂が混浴らしいということを知って、改めて行ってみる気になりました。
最近インターネットで谷山温泉の露天風呂が混浴らしいということを知って、改めて行ってみる気になりました。
源泉の温度は18.8℃のため加温しています。加水なし。循環と塩素消毒をしています。塩素の臭いはしませんでした。湯口の温度は46℃で浴槽の温度は42℃でした。泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩泉です。色は無色透明です。
風呂は男女別の内湯だけで、露天風呂は止めているそうです。
ロビーで休憩することができます。食堂は前にあったのですか今は止めています。
年中無休で日帰り入浴時間は午前8時から午後9時まで。
浴室から眺める田園風景が疲れた体を癒してくれます。
作並温泉元湯鷹泉閣岩松旅館―語り継がれる驚異の名湯の底力を感じる旅館 ― 2010/10/14
30年ぶりに作並温泉・元湯鷹泉閣岩松旅館に入りました。なかなか足が向かない温泉地でしたけれど、源泉を5本もちすべて自噴だと聞いて驚愕しました。受付で確認したところ間違いないということでした。
道路を挟んだ向かい側の職員宿舎の前に駐車して、受付で入浴料の1500円を支払い、フェイスタオルとバスタオルを受け取り、エレベーターで地下2階の岩風呂へ向かいました。ここだけは昔の木造建築を保存したままで、88段の階段を下ります。
途中に休憩室やトイレ、脱衣所があります。ロッカーもありました。
昔と変わらぬ天然岩風呂でした。入り口のすぐ右には、源泉が湧き出ていました。分析票では55.8℃となっていました。注ぎ口からいちばん遠い所で50℃ありました。
その前が瀧の湯で43℃、その隣が新湯で42℃、その奥が鷹の湯で43℃、いちばん奥が河原の湯で42℃でした。岩風呂に4本の源泉を使った贅沢さに驚きました。もう1本の源泉で男女別の大浴場の不二の湯と女性専用の内湯の香華の湯に利用していました。
泉質はナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉です。源泉の温度は53.8℃から55.8℃であり、温度を下げるために加水しています。雨が降ったり冬季には温度が下がるので加温しています。川水や雨が地下に浸透して源泉を供給していることが分かり、長く枯れることのない自然の恵みのメカニズムを目の当たりにしました。
循環はしておらず、掃除をするときには塩素を使用しています。pH8.3。
温泉の歴史は、奈良時代の高僧・行基が発見して、住民に効能を奨励したと伝えられています。
源頼朝が飛ぶ鳥を矢で射て追いかけると、鷹が傷を癒していたという伝説もあり、当旅館の名称の由来になっています。
室町時代に岩松対馬尉藤原信寿が移り住み、11代目に当たる寿隆(字名喜惣治)が、代々岩松家に伝えられている秘湯を地域に開放したいと伊達藩に願い出て、寛政8年(1796年)に許可が下りました。
8年の歳月を経て施設を完成し鷹乃湯の名称を授かりました。
この歴史を証明する史料の展示がフロントの奥に展示しています。向かいの山本商店の脇の丘を登ると湯神神社があります。作並温泉記の碑があり、拓本が岩松旅館に展示してありました。
教員時代には何度か宿泊しました。しかし、結婚する直前に一泊したきり、30年間足が遠のいていました。開湯に至る歴史の資料が展示してあることや岩風呂に4本の源泉を使用しているなどを全く知りませんでした。
源泉かけ流しが温泉の良さの証明だと思っていましたけれど、岩松旅館はこれに該当せず、源泉かけ流しだけで割り切れない温泉に突き当たってしまいました。
さらに、分析票の塩素消毒ありも直ちに駄目とはいえないこともあるとを知らされました。
源泉かけ流しが温泉の良さの証明だと思っていましたけれど、岩松旅館はこれに該当せず、源泉かけ流しだけで割り切れない温泉に突き当たってしまいました。
さらに、分析票の塩素消毒ありも直ちに駄目とはいえないこともあるとを知らされました。
湯の原温泉霊泉亭―発見されて千年を経て湯治宿として200年の伝統がある ― 2010/10/16
宮城県松島町にある湯の原温泉霊泉亭に入りました。慈覚大師が発見したといわれており、小野小町伝説もあります。瑞厳寺の修行僧らが湯治湯として使用していたらしい。瑞厳寺113世の住職が皮膚病に疾患したとき、この湯に浸かって全快しました。
当旅館の裏手の丘に源泉の湧水があり、そこにこの事実を記した碑があると女将さんが言っていました。寺から湯守を仰せつかった先祖が3代目あたりから片桐姓を受けています。以後200年を経ています。
当旅館の裏手の丘に源泉の湧水があり、そこにこの事実を記した碑があると女将さんが言っていました。寺から湯守を仰せつかった先祖が3代目あたりから片桐姓を受けています。以後200年を経ています。
旅館の中央に受け付けがあり、入浴料の400円を支払い浴場に向かいました。浴場の入り口にはロッカーがありました。戸を開けると塩素の匂いがしました。分析票によると塩素消毒をしているとありました。鉱泉の温度は14.5℃なので加温しています。湯口の温度は46℃あり、その下には吸入口がありました。お湯の温度は43℃でした。主な含有物は、ナトリウム・カルシウム・炭酸・硫酸でした。
湯治宿として50室ほどありますが、現在は一桁の利用者になっているらしい。寝具持ち込みで2500円。朝食つき一泊で4500円。個室使用の日帰りは1700円です。
湯治客用の食料を行商に今も来ているそうです。
すぐ近くには、歌人の西行が己の未熟さを悟って霊場松島を去ったという伝説のある西行戻りの松があります。
公園として整備されており、喫茶店もあります。松島湾の展望も素晴らしい。
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