上州四名湯紀行 ― 2011/10/14
上州四名湯紀行のバスツアーに参加して大満足しました。東北道を南下して、栃木県の佐野パーキングエリア手前の岩舟ジャンクションから北関東自動車道に入り、高崎ジャンクションで関越自動車上を北上する。沼田インターで降りて、沼田市の原田農園が経営する食堂で昼食を摂った。
宝川温泉・汪泉閣
1時間ほど北上して宝川温泉・汪泉閣に到着した。広大な敷地に5つの源泉を合わせて温泉を供給する1軒宿であった。
日本武尊が発見したと伝わる古い温泉であり、通路には遺物が雑然と置かれていた。
宝川温泉・汪泉閣
1時間ほど北上して宝川温泉・汪泉閣に到着した。広大な敷地に5つの源泉を合わせて温泉を供給する1軒宿であった。
日本武尊が発見したと伝わる古い温泉であり、通路には遺物が雑然と置かれていた。
湯の小屋温泉・洞元荘
午後4時に宿泊先の湯の小屋温泉・洞元荘に到着した。日本の秘湯を守る会の会員だった。夕食の御飯は最悪だった。
庭には与謝野晶子の歌碑があった。そういえば与謝野晶子は晩年に精力的に温泉を廻っていて、そのことを書いた本を買っていたことを思い出した。
法師温泉・長寿館
翌朝午前9時に宿を出て、今回の温泉めぐりの最大の目的にしていた法師温泉・長寿館に向かった。1時間半ほどで到着する。
古い建物の茅葺きの屋根に苔が生えていて、青根温泉の不忘閣を思わせる雰囲気だった。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。
湯舟の底から温泉が湧き出る自然湧出のめずらしい温泉だった。温度はそれほど高くはなかったが、あがってから汗がどっと噴き出てきた。
翌朝午前9時に宿を出て、今回の温泉めぐりの最大の目的にしていた法師温泉・長寿館に向かった。1時間半ほどで到着する。
古い建物の茅葺きの屋根に苔が生えていて、青根温泉の不忘閣を思わせる雰囲気だった。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。
湯舟の底から温泉が湧き出る自然湧出のめずらしい温泉だった。温度はそれほど高くはなかったが、あがってから汗がどっと噴き出てきた。
薬師温泉・旅籠
ここから1時間半ほど移動して薬師温泉・旅籠に着いた。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。茅葺の建物のは見事であった。
源泉掛け流しではなかったが、自然湧出の温泉だった。北に僅か行くと川原湯温泉があり、八ッ場ダムの建設予定地であった。
ここから1時間半ほど移動して薬師温泉・旅籠に着いた。ここも日本の秘湯を守る会の会員だった。茅葺の建物のは見事であった。
源泉掛け流しではなかったが、自然湧出の温泉だった。北に僅か行くと川原湯温泉があり、八ッ場ダムの建設予定地であった。
稲取温泉・東海ホテル湯苑―伊豆七島を臨む稲取温泉発祥のホテル ― 2011/06/09
伊豆半島一周のバスツアーに参加して稲取温泉・東海ホテル湯苑に宿泊してきました。東日本大震災の憂さを晴らすつもりの参加者が集中したためか、キャンセル続きのツアーのなかで37人の参加者で決行となった。天候に恵まれずに2日間の旅程中に一度も富士山は姿を現さなかった。
稲取温泉は周辺に見るべきものは何もない簡素な温泉街だった。早朝に周辺の散歩もする気力が起きなかった。
稲取温泉は周辺に見るべきものは何もない簡素な温泉街だった。早朝に周辺の散歩もする気力が起きなかった。
当ホテルは、稲取温泉の源泉を1958年に掘り当てた最初の源泉を所有しており、稲取温泉元湯に相当するホテルだ。正面玄関に記念碑があった。全室が海に面した眺望抜群の立地ではあったけれど、雲が立ち込めて伊豆七島を十分に眺めることはできなかった。
源泉は稲取2号源泉といい、温度は71.4℃と高温のために加水して温度を下げている。温泉施設は1階に貸切風呂があり、3階(遊々湯苑)と5階(洋々湯苑)にある施設を半日毎に男女入れ替えて使っている。
貸切を除いてそれぞれに8種類の私説を配置して多彩な風呂を楽しめるようになっていた。湯口では47.2℃のお湯が、湯船では38.2℃に下がっていた。消毒と循環している。湧水量120ℓ/min.。
主成分はナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩だった。
主成分はナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩・炭酸塩だった。
信州松代ロイヤルホテル武田信玄の隠し湯―松代温泉のホテル ― 2011/04/15
武田信玄の隠しといわれる松代温泉の信州松代ロイヤルホテルに宿泊しました。クラブツーリズムのバスツアーで何度か信州にきており、今回で二度目の宿泊です。
ホテルには、内湯と露天風呂がありますが、温泉は露天風呂だけです。源泉は敷地内から動力で揚水しています。
源泉の温度は40.8℃と低めで加水と加温しています。循環しているため塩素消毒をしています。
湯口では43.6℃あり、浴室では42.1℃ありました。主成分はリチウム・ナトリウム・カリウム・マグネシウム・カルシウム・鉄・塩化物・硝酸塩・硫酸塩・炭酸塩でした。
夕食後に部屋に戻って自動販売機から愛飲している缶ビールのサントリーモルツの500ミリリットルを2本を買い、最近熱を入れている「鬼平犯科帳」のテレビ放映があったので飲みながら鑑賞した。
最後まで見て間もなく寝てしまった。早めに寝たはずなのに、翌日に目が覚めたのが午前6時と少し遅かったので、ホテル周辺を散策する時間が無くなってしまった。
佐久間象山記念館などホテル周辺には散策するスポットが結構あったので返す返すも残念だで仕方がなかった。信州にはさらに何度か来て見ておきたい所が多くある。
佐久間象山記念館などホテル周辺には散策するスポットが結構あったので返す返すも残念だで仕方がなかった。信州にはさらに何度か来て見ておきたい所が多くある。
下呂温泉―日本三大名泉の情緒が溢れる温泉街 ― 2010/08/16
盆休みにバスツアーで岐阜県の下呂温泉に行ってきました。宮城県の鳴子温泉より大きな温泉街でした。早朝5時半に宿泊ホテルの湯元館を出て、下呂大橋を渡り、温泉神社を見ました。湯殿山神社を分霊したものでした。
173段の石段を登った高台にある温泉寺から町の全貌が眺望できました。
173段の石段を登った高台にある温泉寺から町の全貌が眺望できました。
町の中心を川が流れている雰囲気は、山形県の銀山温泉に似ていました。銀山温泉は、古い建物が残っていますが下呂温泉は近代的な建物です。川淵には行灯が設置してあり、温泉情緒を掻きたてていました。
宿泊した下呂温泉湯元館は、源泉かけ流しで温度も高めで快適でした。お湯は無色透明です。ホテルの一室の浴場にも拘らず、宣伝写真のためか、岩風呂に見せようとして壁に岩を貼りつけているのは、不自然さが気になりました。
温泉街には外湯も多くありました。江戸時代の林羅山や万里集九らが日本三大名泉を言い出したらしい。日本三大名泉発祥の地の碑が温泉寺の近くにありました。
碑の説明には、1491年に京都相国寺の僧万里集九が、63歳のときに美濃国鵜沼の春沢梅心翁とともに、 飛州下櫓温泉 に浴し、 温湯連句会を催し、五十韻の連句が詠われ、その句集の序を 万里集九が次のように記しているとありました。
「本邦六十余州、毎州有霊湯、其最者、下野之草津 、津陽之有馬 、飛州之湯島 三処也」
下呂温泉の発祥には、鷺が発見したという伝説があり、温泉寺には鷺が止まった松の木(瑠璃の松)が石段の頂上にあります。村人がその根の所を掘ったら、瑠璃色の薬師如来が出てきたそうです。如来像は温泉寺に祀ってあります。
野口雨情の歌碑がたくさんあった。野口雨情は、1938年に湯之島館・春慶館に宿泊しています。14章からなる下呂歌謡があり、雨情公園も整備されています。
二度と来ることができないかもしれないので、強行スケジュールのツアーのなかで、朝に温泉街を散策しました。日本唯一の温泉博物館があったけれども見ることができなかった。
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