川渡温泉共同浴場―1200年の伝統の名湯を偲ぶ温泉 ― 2010/11/03
川渡温泉共同浴場に入りました。駐車場はないので、近くに保健センターか家畜市場に止めることができます。玄関の位置口を開けて脱衣所に入ると料金箱があり、200円を入れます。管理人はいません。
玄関の上には午後11時から午前4時までは閉鎖するので入浴できませんと表示があります。
玄関の上には午後11時から午前4時までは閉鎖するので入浴できませんと表示があります。

源泉は川渡支所前源泉を使用しています。温度52.6℃で湯口から51℃のお湯がふんだんに注ぎこまれています。祝日ですが入浴客も少ないためか、風呂は45℃もあってとても長湯はできませんでした。

主成分はナトリウム・カルシウム・カリウム・硫酸塩・炭酸・塩化物でした。源泉かけ流しです。お湯の色は薄緑で硫黄の浮遊物がありました。

施設は新しくはありませんが、きれいに掃除してありました。川渡温泉は鳴子温泉より古いことがわかりました。

「続日本後紀(しょくにほんこうき)」は、朝廷が編纂した歴史書で833年から850年までの出来事が記されています。この続日本後紀」の承和四年(837年)に下記のように書かれていることからこの年が鳴子温泉の始まりとされています。川渡温泉は次の文章に鳴子温泉ができる時点で既に玉造賽の温泉石神とありますから、それ以前の玉造の賽が設置された時にもう温泉として存在していたことになります。
玉造塞の温泉石神、雷響き振い、昼夜止まず。温泉河に流れてその色漿の如し。加うるに以って山焼け谷塞がり、石崩れ木を折る。更に新沼を作る。沸声雷の如し。此の如き奇怪、勝げて計うべからず。よって国司に仰して災異を鎮守し夷狄を教致せしむ。

川渡温泉石神社の参道の位置口にある案内板に次のように書いてあります。
由緒
温泉石神社は約壱千百年前に作られた「延
喜式神明帳」に、玉造郡三座の一として登載
されている延喜式内神社である。
承和四年(八三七年)この地に大噴火が起 り雷響き振へ晝夜止まず。周囲二十余尺の大 石の根元より温泉河に流れその色水漿の如し。依つてこの石を温泉石神として祀り鳥居 だけがあった其の石上に承和十年神社を建 立し、大汝貴命・少彦名命を祀り土地の人達 この状を具して朝廷に奏し、明治七年大口村 の鎮守神として村社に列せらる。民生の安定・五穀豊穣祈願・天然の温泉の神恵を感謝して毎年祭典が執り行われている。
承和四年(八三七年)この地に大噴火が起 り雷響き振へ晝夜止まず。周囲二十余尺の大 石の根元より温泉河に流れその色水漿の如し。依つてこの石を温泉石神として祀り鳥居 だけがあった其の石上に承和十年神社を建 立し、大汝貴命・少彦名命を祀り土地の人達 この状を具して朝廷に奏し、明治七年大口村 の鎮守神として村社に列せらる。民生の安定・五穀豊穣祈願・天然の温泉の神恵を感謝して毎年祭典が執り行われている。
歳旦祭 | 一月一日 |
どんと祭 | 一月十五日 |
例祭 | |
七五三祭 | 十一月十五日 |
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